ワーグナーへの愛憎

ワーグナーのオペラには、熱狂的なファンが多い。しかし、現代のドイツ人にとってワーグナーの音楽には、愛憎の感情が交錯する。ワーグナーが独裁者ヒトラーに好まれたからだ。ナチスの宣伝映画にはワーグナーの勇壮な音楽がしばしば使われていたことから、ユダヤ人や年配のドイツ人の中に は、ワーグナーの音楽でナチスの記憶を呼び起こされる人もいる。

 バイエルン州立歌劇場でワーグナーの「さまよえるオランダ人」を観た。呪いによって死ぬことができなくなり、7年に一度だけ港に立ち寄ることを 許されたオランダ人の船長が、女性の一途な愛によって救われるという筋書きだ。哲学をひもとき伝説や神話の中にオペラの題材を求めたワーグナーであったが、これは自身を投影した作品ともいわれる。ワーグナーも各地を転々とした果てにバイロイトに落ち着いた。その館を「ヴァーンフリート(私の妄想が平和をみつけた所)」と名づけていることでも知られる。

 4年前から上演されているこの作品の演出は、モダンで突飛。第一幕はジョニー・デップ主演の映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」を彷彿させる海賊のような衣装。第二幕があがると観客が息を呑む音が聞こえた。なんと、場所はフィットネス・クラブ。ヒロインのセンタと、女性のコーラス陣が 色とりどりのTシャツで、美容のために自転車をこいでいる。問題はラストシーン。普通の演出では、最後にセンタが海に身を投げ、永遠の愛を誓うこ とでオランダ人船長とともに昇天する。ところが私が見たオペラのラストシーンでは、センタが重油の入ったドラム缶に火をつけて、他の出演者ともども自爆する。 

 このオペラの演出家は、あまりにも前衛的なので評価が分かれている。彼の父親は戦前にいち早くナチ党に入党したが、戦後は東ドイツでナチスの経 歴を問われることもなく、指揮者として出世した。この父親に反発してか、息子の演出は、「ドイツに救済はない」というメッセージを含んでいるように見えた。

 音楽に政治は無縁とはいえ、イスラエルではワーグナーのオペラを上演することができない。ワーグナーに関しては今後も政治問題がつきまとうだろ 。

(保険毎日新聞 2012年2月掲載)

 

1994年から2008年まで芸術新潮に美術展・美術に関する記事を寄稿しました。

芸術新潮 ワールド欄

2008年 5月号 

唯一の自画像も登場! 抽象以前のロスコがドイツに集結

2007年7月号

石と光で歴史を語る新設ユダヤセンター

 

2003年

5月 頽廃芸術家前夜、クレーのナチス戯画初公開

1月 ヘルムート・ニュートンが上梓した自伝の中身

 

2004年

11月 知られざる青騎士作家、マリア・マルクの星あかり

3月 極彩色だったギリシャの彫刻

 

2002年

12月 ミュンヘンに現代ピナコテーク誕生

3月 ベルリンのユダヤ人女性写真家YVA

2月 ピカソの愛人、ドラ・マー

1月 ニュルンベルクのナチス博物館

 

2001年

12月 Uボート作家の潜水艦型美術館

4月 ウイーンの図書館型ユダヤ記念碑

1月 その後の運命いろいろ クリムトの女性たち

 

ウイーンのユダヤ記念碑

終わらない美術界の第二次世界大戦

略奪美術品のいま 2000年10月

イギリスの場合 (ロンドン取材)

 英国博物館会議NMDCが組織されたのは1994年。40の美術館・博物館長が集まり、美術館が直面しているさまざまな問題を議論する場である。英国、スコットランド、ウエールズ、北アイルランドの国立美術館のみならず、図書館や植物園も参加し、英国としての足並みをそろえるのが主な目的だ。こうした活動の一環として、第二次世界大戦期の略奪美術品の問題は大きな課題のひとつである。NMDCは1933年から45年のあいだの来歴がはっきりしない英国内の作品を徹底調査し、今年2月に約200ページにおよぶ第一回調査報告をまとめた。「もちろん、既に数十年ものあいだ美術館の所有下にある作品が略奪美術品であったと判明した場合、美術館側としては必ずしも返還したくないでしょう。場合によっては正規の所有者の遺族になんらかの代償を払って引き続き展示する場合もあります」(NMDC広報ソフィー・サザーランド氏)。

 昨年には、35カ国の略奪美術専門家や調査機関と連絡を蜜にし、情報交換しながら、個々の返還請求を調査・仲介する組織、欧州略奪美術財団(ECLA)がロンドンに設立された。ECLAが仲介した成功例としては、60年代を経て、この春、ミュンヘンのノイエ・ピナコテークからロンドン在住の元の所有者の遺族に返還が決まった作品がある。今年1月からロイヤル・アカデミーで開催された「1900年展」に展示されたレオポルト・カルクロイトの「人生の三段階」は、ウイーン在住の裕福なユダヤ人が、1924年に娘への結婚記念としてプレゼントしたものだった。しかし、作品を贈られたグランヴィル女史が英国べ亡命した後、この3連画は1938年にナチスによって略奪される。4年後にノイエ・ピナコテークが個人コレクターから同作品を購入した当時、館はその来歴を特に確認しなかったという。グランヴィル女史は71年に返還請求を行うが、ベルリン法廷は、「返還請求は48年で時効となっている」としてこれを却下。彼女は83年に死去したが、99年7月、イギリスに住む彼女の遺族がECLAに返還への協力を求め、4ヶ月にわたる調査によって同作品が間違いなく元グランヴィル家の所蔵品であったことが明らかになった。決定的証拠となったのは、問題の作品がグランヴィル家の居間を飾っていた写真である。ロイヤル・アカデミーの展覧会に同作品が貸し出された今年初め、ECLAが返還を請求し、3ヶ月後にようやく作品が遺族に返還されることとなった。半世紀も前に本来の所有者の元を離れている作品の政党な所有者を証明するのは決して容易ではない。ECLAは今後、美術館や博物館だけでなく、サザビーズやクリステイーズなどのオークションハウスも含めて、幅広い分野での来歴情報公開を促してゆく予定だという。

(芸術新潮、2000年10月号から)

2000年

8月 早描きテイントレットの丁寧な仕事ぶり

6月 カラフル凧のアート

4月 ロダンの晩年の恋人ヘレーネ

 

1999年

11月 ミュンターとカンデインスキーが暮らしたロシアハウス修復される

9月 ワイマールのバウ・ハウス、改装される

5月 女性画家の先駆者、アンゲリカ・カウフマン

 

1998年

8月 石版美術とアロイス・ゼーネフェルダー

硫酸浴びてもデユーラーは死なず

1998年7月掲載

 ミュンヘンのアルテ・ピナコテークに飾られていたアルブレヒト・デユーラー(1471-1528)の作品3点に硫酸がかけらたのは1988年のこと。犯人はハンブルクの精神病院に入院していた中年男で、以前にカッセルの美術館でもレンブラントの作品に硫酸をかけた前科があった。3点のうち得に被害のひどかった「悲しみのマリア」(1495-98)はから10年後も修復中だが、最近、「パルムガルトナー祭壇画」(1498)と「キリスト哀悼」(1500)の修復が完了。これを祝してバイエルン州が所蔵する14点のデユーラー作品のうち「悲しみを」除く13点を一堂に集めて大展覧会が開かれた。

 のべ2万3000時間におよぶ修復を担当したのはミュンヘンのドルナー研究所。まず絵画の表面に付着した強い酸を中和するためのイオン交換処理だけで一年半を費やしたという。修復にあたってはバイエルン州にあるデユーラー作品すべてが徹底的に分析された。赤外線写真で絵具層の下のデッサンを透視し、絵具の成分や色の塗り重ね方を解析することで、これまでわからなかったマイスターの技巧の後をたどることができたのだ。「パルムガルトナー祭壇画」の中央パネルには菩提樹、左右にはモミ材と、異なる木材が使われていたことが初めて確認されるなど、600ページの大部のカタログは“デユーラー学”の新知見に満ちている。絵具についても、デユーラーの書簡や日記を丹念に読み込み、顔料の産地や混合法にまで調査はおよぶ。科学的分析によって、下塗りに用いられたホワイトに、亜鉛のほかに銅、銀、鍚、マグネシウム、けい素、アルミニウムやカルシウムが含まれていることがわかった。当時こうした画材のほとんどは薬局で購入されたというが、まさに処方箋のような精緻な絵具調合法だったというべきか。デユーラーの日記には画材購入の記録もみられ、商業都市ニュルンベルクの地の利を十分に生かして、ポーランド、イタリアやインドなど広範な地域から、特殊な鉱物顔料を頻繁に取り寄せていたことも明らかになった。

(芸術新潮、1998年7月から)

1998年 

4月 ジャン・B・ニースレと小鳥たち

 

1997年

11月 忘れられし パウラ・モンダーソン・ベッカー

8月 パウル・クレーと飛行機

6月 ラウシェンベルクのテクノロジー芸術

 

1996年

8月 画家の字はどんな字?

   ボロフスキーの巨人像

4月 ミュンターのカンデインスキー秘蔵作品郡

 

1994年

11月 ミュンヘンに現れた地上絵

10月 上海にもあったユダヤ人ゲットー

    ボンに歴史館登場

7月 地下鉄駅に誕生した細長ギャラリー

5月 ヒットラー神話を陰で支えた写真家ホフマン